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私が死んだら
- 通夜、葬儀は一切無用。
- 永代経、戒名、回忌など不要。
- 墓、寺への納骨不要。
- 私名義の金銭、不動産の分配で醜い争いをせぬこと。
- 1.死者を弔う気の少ない人ほど、形式にこだわることを肝に銘ずべし。死者のために、生者を煩わしてはならない。香典、献花など辞退すべし。
- 1)病院にて死せる時
-
亡きがらの移動は葬儀社に頼み、一晩、場合により二晩、家族だけと家に安置。そばには、僧の経も祭壇もいらない。その後、焼き場に行くには一番安い棺で結構。棺には、亡きがら以外のもの入れること不要。
- 2)家にて死せる時
- 知り合いか、近所の開業医に頼み、死亡診断書を書いてもらい、 後は病院にて死せる時と同様。
- 3)その他の場所にて死せる時
- 法律の定める処により、解剖など避けられぬ時以外、死者を切り刻むこと御免。
- 2.死ねば、人はただの冷たい肉塊と化し土に帰るのみ。その時心も消え、魂だけが存続していくことなど幻影。そして、生者は死者に、何も届けることが出来ないことを銘すべし。
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- 僧の行う永代経など全く無意味。仏事として回忌を催し、縁者を呼び集め、戒名を囲んで、私を偲び、一族の結束を深めることなど、ひとたびと言えども不要。また喪中の期間設定などはせず、各人がそれぞれ自分の世界で、精一杯生きていってくれればそれでよい。
- 3.私はこの地球から生まれたのだから、地球に帰るのが筋。墓や寺の骨壷に帰るのはピントはずれというもの。
- 焼き場から遺骨の一部を持ち帰ること、謝絶出来るのならそれがベスト。それが無理なら、遺骨は後日、私が愛したどこかの海に捨ててくれればよい。お寺に、遺骨を納めさせる権利など無いと知るべし。
- 4.亡き親からの譲渡はプラスマイナスゼロが原則であることを肝に銘じ、一円でもあれば自身の徳と悟るべし。
- 1)預貯金は、妻、息子たちの家族に3:1:1:1で分けること。
- 2)本籍の不動産について
- そこを生活の場とするものがいるのならそのものだけににすべてを譲渡する。複数の希望者があるようなら、少しでも、田畑に親しむ可能性の高い方を優先する。
- そこを生活の場とするものが誰もいないようなら金銭に換えること自由。
- 換えた金銭は、実家と生活を共にするもの3:他の息子たちの家族にそれぞれ1:1で分けること。
- 妻と生活を共にするもの無き時は、妻、息子たちの家族に3:1:1:1で分けること。
- 妻亡き時は、息子たちの家族に1:1:1で分けること。
- 3)実家の不動産について
- そこを生活の場とするものがいるのならそのものだけにすべてを譲渡する。複数の希望者があるようなら、妻の決定を最優先する。くみ子亡き時は、それまで私と接触の濃かった方を優先する。
- そこを生活の場とするものが誰もいないようなら金銭に換えること自由。
- 換えた金銭は、妻と生活を共にするもの3:他の息子たちの家族にそれぞれ1:1で分けること。
- 妻と生活を共にするもの無き時は、妻、息子たちの家族に3:1:1:1で分けること。
- 妻亡き時は、息子たちの家族に1:1:1で分けること。
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