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[第11話]見舞いの品

かなり前のある雑誌に、次のような話が出ていたのを忘れることが出来ない。

場所はフランスのとある市立公園。天気のいい午後。一人の日本人画家が風景画を描きにやって来て、中央の池に向かって筆を走らせていた。そうした場合、どこの国でも同じように、そばを通る人達の何人かはしばらく立ち止まり、絵に見入り、そして去ってゆく。その画家は、回りの野次馬を意識することもなく、描き続けていた。しかし、夕方が近づいて、五時を回ったのに、そばを離れない人が一人いるのに気づいた。それまで無言であったその人が少し口を挟んだ。

「まだ大分かかりそうですね」

画家は

「一人にさせてくれませんかね」

と、不機嫌に答えたが、その人はその場を去りもせず、さして気にする様子も見せず、ただニコニコしているだけであった。画家は少し気分を害して

「何か、用事でも」

と聞いた。

「いや、実は、私はこの公園に勤めているものですが、家に帰る前には、あの噴水のバルブを止めないといけませんので」

画家は自分の絵を見て事態を了承した。

この話を読んだ頃、同じような思いやりを入院患者から聞いて、以来、全く関係の無い話であるのに、何故か私の頭の中で二つが並んで引き出しの中に入っているのがある。

病院の入院患者用の食事メニューは、日本中どこへ行っても似たようなもので、予算やら何やらいろいろの理由からご馳走は出ない仕掛けになっている。見舞いの品では、昔から、現金、果物、花がベストスリーであるが、病気と言っても食事の規制はほとんどない入院患者もおり、ご飯のおかずになるような物を持ってくる人もいる。家族以外でこういうことをするのは、過去に入院経験のある人に多い。でもそう再々という訳にはいかないので。そうした場合の品は、ある程度保存の効くものということになる。ここまで考えてから、見舞いに来るだけでも相当と言わねばならない。それが、何種類かの珍味の入ったビン詰めの、しっかり締まっている蓋をいったん開けてから、改めて緩く締め直して持って来た人のいることを知った。その話を聞かせてくれた患者は、ビンの蓋の緩い訳を送り主の人柄をよく知っているだけに、直感的に悟りました、と美味しそうに、花ラッキョウを口に運んでいた。

世の中には同じくらい気の付く人はいるもので、女房が買ってきた雑誌「暮らしの手帖」に、ほとんど同じ様な記事が出ていた。

そんなことをしたら、中身が腐ってしまうんではないだろうか

少し食べたと思われはせんだろうか

と思う人は、送る資格の無い友人である。

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