- 2008-01-28 (月)
- 親父が執筆したもの
大学病院で病棟回診と言えば、通常教授によるものを意味する。回診は、教授自身の入院患者の把握に加えて、主治医への助言、卒業したての未熟な医師と、医学部の学生の教育などをその目的とする。従って、回診中の教授の移動には、各患者の主治医、学生、ナースなどが、まるで子供の電車ごっこみたいに、ぞろぞろとついてまわる情景となる。また特別な場合を除き、患者の病状はそれぞれの主治医から教授に説明されるので、患者が直接教授と問答する事はほとんど無い。そして患者を前にして主治医と教授の間でかわされる治療、診断、病状についての話は、日本語の中にこまぎれの横文字を交えた隠語で成されるので、患者からしてみれば話の内容はよく分からないのが常である。しかしその場の雰囲気で、少なくとも平穏なやりとりか、ただならぬ会話かは、大体の察しがつく。
私が大学病院での修行時代、主治医の不勉強や、ヘマが原因で教授が怒る事態は、カミナリと呼ばれていた。カミナリにはかなり大型のものと、回診が済んで先輩から
「お前、さっきのあれは、カミナリやでー、気ついてるんかー」
と指摘されなければ分からないような、小型のものまでいろいろであった。カミナリも大型のが連発する事態となると、教授もついつい、隠語を抜かし、話は純粋な日本語だけに変化してしまう。
回診が終わってから、カミナリの現場に居合わせた受け持ち患者から
「先生、さっきは医長先生にえらく叱られていなすったねー、わたしゃ見ていて先生に申し訳なくって、ホントに私みたいな何時死んでもいいような年寄りが、こんな長生きをしているばっかりに、先生にまでご迷惑をおかけして、すみませんねー」
と主治医が慰められる一場面もあった。
このカミナリは、本来一人の患者の回診が済んで、次の患者へ順番が回れば消滅する性格のものであるが、運悪く次の患者も同じ主治医の受け持ちである場合には
「何だまた君の患者か」
と話は最初から少し不利な雲行きとなり、そうした場合には、平和なら問題にならない様な受け答えにも、カミナリの落ちることがあった。
患者も入院期間の長いベテラン組になると、横文字の一部を知るようになる。患者の状態をそれ程細かく把握していない時、教授から
「このクランケ(患者)の昨夜のハルン(尿)の回数は?」
と聞かれて、内心あわてて
「はい二回です」
と適当に答えたら、目の前の患者がむっくり起きあがって
「先生、昨夜は、私、五回オシッコに起きましたよ」
と言われて大恥をかいたこともある。
病名を伏せてある患者から
「先生、私はやっぱりガンなんでしょう、さっきのツモール(腫瘍)、ツモールって話、ツモールってガンのことでしょう?」
と言われてとても困ったこともあった。
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