- 2008-01-18 (金)
- 親父が執筆したもの
バイアグラが世に出回る前の話である。
その人は小さな旅館のご主人で、60歳前であった。奥さんを亡くして、そろそろ10年が過ぎようとしていた。仕事は通いのお手伝いさんと2人できりもりしていたが、その人が辞めることになったのを区切りに、再婚することになった。相手は50くらいの未亡人ということであった。
「実はね先生、自分で言うのも何ですが、私ね、前の女房には惚れていましてね、この10年、操を立ててきたんです。でもね、この商売は、女がいないといろいろとどうも具合が悪いんですわ。10年も辛抱したんだから、亡くなったあいつも許してくれると思うんですがね。それがね、この頃、朝立ちもまるっきりないんで、私のモノが役に立つのか心配でね。夫婦ってのは最初が肝心でね、相手も私が始めてではないことだし、うまくいかんとナメられますからね。いやね、1回か2回うまくいけば後はどうでもいいんです。その気になりゃいつだってできるんだってことで、亭主関白バンバンですよ。何とかうまく馬力の出る注射をいっぱつお願いしますよ」
当時、この要望に応える特効薬は私の頭の中になかった。しかし事情には、男として共感の余地があった。ホルモン異常などが原因で起こる、インポ用の薬剤は何種類か作られていたが、見るべき効果はないのが現実であった。
私は作戦を練って
「未だ発売されて間もないが、とてもいい注射がある、1本や2本では効かないかも知れないので、しばらく通っください、外国製の注射で、少し値段は高いですよ」
と答えた。その人は
「カネは多少高くても構わない、お願いします」と言った。
そして、治療が開始された。注射が3本済んだところで経過報告があった。
「いやー、あの注射は効きますなー、この頃、朝立ちがあるんですわー」
治療は継続された。
「先生、もう大丈夫ですわ、式は未だですがいっぺんリハーサルやってみますわー、結果は報告に来ますよ」
何日かして、その人はにこやかにやって来た。
「先生ありがとうございました、うまくいきました。これで男が立ちます、恩にきます」
それは発情期にあるオスの鹿の角を材料にして作られた製剤であるが、これほど感謝されたのは初めてであった。しかしあのご主人には、何の注射をしても結果は同じ様なものだったかもしれない。
これは、けっこう値の張る注射であるとか、注射のたびに「これは効きますよー、効いてきたでしょう、ね、ね、効いてきたでしょう」と繰り返し声をかけたのが、相乗的に良い結果となったように思えてならなかった。
私はその後、結婚式がすんでから、紅白のまんじゅうをいっぱい頂いた。
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